魔女狩りとは何か。その歴史と変遷【魔女狩り(岩波新書)】21冊目

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魔女狩りの歴史

 

魔女狩りとは何か。どこから始まったのか

 

西欧キリスト教国を「魔女狩り」が荒れ狂ったのは、ルネサンスの華ひらく十五‐十七世紀のことであった。
密告、拷問、強いられた自白、まことしやかな証拠、残酷な処刑。
しかもこれを煽り立てたのが法皇・国王・貴族および大学者・文化人であった。

狂信と政治が結びついたときに現出する世にも恐ろしい光景をここに見る。
(内容紹介より)

 

「魔女狩り」「魔女裁判」という言葉や、それらの行為は漫画や映画でも題材にされることがあるため、漠然とでも知ってる方は多いと思います。

 

ジャンヌ・ダルクの処刑のイメージも強いです。

 

本書は、物語に出てくるような古い魔女のイメージから、如何にしてそれが宗教と結びつき、魔女狩り・魔女裁判という残酷な行為に至ったのか、その本質を見ることができます。

 


元々、魔女は罰せられる存在ではありませんでした。

 

迫害されるのは魔女だからではなく、魔女が行う呪術という「行為」のためでした。

 

教会側はむしろ魔女を擁護することもありました。

 

それが1300年ごろを境に、魔女に対する教会の態度が硬化します。

 

その理由は「新しい魔女」の大量出現です。

 

聖職者の堕落、異端の迫害、異端審問……

 

いつしか魔女は異端と結びつき始めます。

 

そして異端者の罪状の中に、魔女的な行為が挙げられ始めます。

 

その間、魔女論も数多く書かれ、魔女という存在を定義していきます。


それにより、かつての魔女観と、魔女裁判が行われた時代の魔女観は大きく変わりました。

 

また、教会、法皇、警察、裁判官など、多くの人が魔女裁判に関わり、それにより利益を得る人も出てきます。

 

そして魔女の自白強要、魔女裁判の様子、魔女の疑いを掛けられた人の話などは、目を背けたくなるような内容です。

 

それがまかり通っていた時代であり、それが魔女狩りというものであります。

 

現代でも、アフリカの一部では魔女狩りが存在し、ニュースになったこともありました。

 

魔女狩りは、過去の話ではありません。

 

人間が造り上げた魔女・魔女狩りは、今でも人間の社会に深く刻まれています。